小さい、オジサンの主観で申し訳ないが、その代償は人ぞれぞれだけど、小さな失敗はケッコーしているように思える。
でもここで述べたい失敗はもっと根元的で大きな意味での失敗なのだ。
実は、オジサンはいろいろと消費者金融の利用をしているわけだが、借金はその都度ちゃんと返済をしているが、いつ返せなくなりはしないかとか、返さなかったら…どうなるのだろうとかといった恐怖を感じている。
どこか野放図に消費者金融の利用が出来ないでいる自分がいるわけよ。
友人はせめて消費者金融の利用した時くらいは腹をくくって、心底楽しめよと言うけれども、なかなかそういった気持ち、心理状態にはならない。
割り切って、楽しんだあとにさあ返済をがんばろうと言う気持ちが起きないでいるので、せっかくゴージャスなバカンスの為の消費者金融の利用も、楽しい彼女にプレゼントした夜も、有名温泉の一泊旅行もどことなく、消費者金融の利用をした為に、楽しめていない自分がいる。
自分にとって分相応なのは、安くてみみっちくてもいいから、気兼ねなく楽しめる旅行なのではなんてことをいつも思ってしまっていて、同行した人には、申し訳なく感じてしまっている。
その人の楽しそうな表情を見ると余計に、自分の心の奥深くでは、借り物の感じが否めない。
つくづく損な性格なのかなと思う。確かにその場は楽しくなるが、どうもその後に漠然とした不安が付きまとってしまうのだ。
原因を考えてみると、オジサンの前の会社の上司に当たる人が友人の保証人になり、借金を肩代わりして払っていたと言う話を何度も聞かされて、そんな気持ちになってしまったのかも知れないし、父母の言葉も胸に刻まれているのかも知れない。
でも、ある時からオジサンはソレデイイノダと思い始めた。
考え方を変えたのだ。
それは、ここからが本当にオジサンの経験した失敗でもあるが、返済の時に、お金がたりなくなってしまったこともあるし、そのために、友人から借金をしてしまったこともあるんだよ。
何が言いたいのかというと、消費者金融の利用した時から、マイナスの気持ちを持っていても、実際に返す時にも、うまくいかないことも起きる。
つまりは借金はそんなに甘いものではないと、早くから気がついていただけのことだったんじゃないかというわけだ。
実際に、返済の時に、思っていた以上の利息が付いていて、それこそ「コンナハズジャー」と心の中で絶叫したこともあった。
それでも助かったと思うこともあったり、いざというときの、強い味方であってくれていて、感謝もあったり、悲喜こもごもであるわけだ。
これまでうまく消費者金融の利用を続けてこれたのは、それこそ消費者金融の利用での失敗を心の中でイメージできているおかけだと信じている。